今更、ゆうたの話
2年の時を経てゆうた再び。
わずかな読者の皆様こんにちは。
やっとです、やっとブログ更新いたします。
こんなに放置しているブログの更新、もはや気づいてくれる人がいるのでしょうか。
そしてわたしが15年前の記憶を思い出せるのか不安で仕方がありません。
とりあえずわずかな記憶を遡り...
やっと決まった就職先、私の上司はゆうたという27歳の日本人パティシエでした。
働き始めて3~4ヶ月が経った頃、
私はストレスと疲労から体調を崩してしまいました。
昼営業が始まる頃トイレで戻してしまい
なんとか這いつくばりながら営業を終えました。
その様子を見ていた同僚がもう夜は帰って寝なよ!
パトロンに話してゆうたに電話するように言っておくよ
そう、その日休みだったゆうたを招集してくれると。優しい。
ここで借りを作るのは....と思ったけど(笑)
もう立っているのもしんどくて帰って立ち上がれる気もしなかったので
お言葉に甘えて帰宅。
するとその道中、ゆうたから
ショートメッセージ。
kyu-kyusya
de
hakobareta
wakeja nendakara
zibun de tel shiroyo
その頃、私たちは現地の携帯を使っていたので
日本語は使用できないためローマ字打ちでした。
救急車で運ばれた訳じゃねーんだから
(出勤変わって欲しいのを)自分で電話しろよ
と。
その頃私は先輩に怒られてしまった!
ごめんなさい。。。
なーんて気持ちはこれっぽっちもなく
はいはいはい
さーせんね~とシカトをする
性格の悪さが身についていました。
そして体調も万全に、
ゆうたにも一応(?)謝罪し、
いつもの日常を過ごしていたある日
ランチ営業で牡蠣の殻をむいていたゆうた、
誤って自らの手のひらに尖ったナイフを刺してしまう。
牡蠣のエキスがついているから感染症の心配もある!と
パトロンが大慌てで病院へいくようにタクシーを捕まえました。
(本人は傷を負ったことに謎の勲章感を出す)
その日の夜営業、私は半休をもらうはずでした。
でも休み時間にパトロンから電話が来て、
やっぱり今夜ゆうた働くの難しいから、来れない?
と言われ出勤することに。
団体客が入っていたこともあり
もう何がなんだかわからないくらい忙しかったのを覚えています。
っで、ゆうたから
ore nashide
taihen datta desyo?
はーーーーいーーーーー?
いや一言目はあ り が と う、ちーがーうーーー?!
私にめっちゃ責めてきたけど自分はいーのかい
と思うようなことが、一緒に働いていて毎日のようにありました。
その頃、私はわざわざフランスまで働きに来て、
この人のもとで働くだけでいいのか?
日本に胸はって帰れるのか?と問うようになりました(笑)
次回、私ってこんなに自分の意見言えたんかぁ〜ってくらい
パトロンに泣きながら思いを伝えた話を。
(無事更新できますように~)