7区レストランへ就職
ルーブル美術館近くのレストランでアリエッティになり損ねた私は次なる面接へ。
mixiでまたも見つけた7区サンジェルマンデプレ付近のレストランにてパティシェ助手急募!
そう、助手。
私の事だ!
すぐにコンタクトをとると、カフェで落ち合うことに。27歳の“ゆうた”という日本人シェフパティシエが待っていました。
日本と抹茶をこよなく愛するフランス人のパトロンがゆうたを日本から呼び寄せシェフパティシエとして自分のお店に招いたんだとか。ゆうた曰く
それで自分はフランス語が話せないから自分の下で働く子を自分で探したいと。
私は働くのに差し支えがないくらいの語学力は身につけていたので通訳がわりにもなるという事でなんと、直ぐに働くことが決まりました!
はじめての就職、
それがフランス・パリのレストランで決まりました。言葉にならないくらい嬉しかった。
思っていた形ではなかったけれどもう何でもいい(笑)とにかくフランスで働ける事が物凄く嬉しかったのです。ひとりの人としてフランスで人権が生まれたようなそんな気分でした。
そのお店は小さいけれど事務のマダムがいて契約書もちゃんとしていたし、健康診断とかも受けさせてくれたり“日本人”が抜けないわたしにはとても安心できる職場でした。
ゆうたはよく言えばコミュニケーション能力が高く常に私に話しかけたり(仕事と関係ない事)、仕事も色々教えてくれたり、社会人として(彼なりの)ルールなどを熱く語っていました。
レストランは昼と夜の営業があり9時ごろに出勤すると午前中は昼営業に向けての仕込み、12時〜14時半頃まで営業、15時〜17時まで休憩(自宅に帰る)17時からまた夜営業の仕込み、18時半〜22時半頃まで夜営業、帰宅。という感じでした。
営業中のピーク時間は戦争です。
厨房のあちこちで叫び声が聞こえてきます。
えっ!喧嘩?と思うほどサービスと料理人が言い合ったりしてますが営業が終わればニコニコと、たわいも無い話をしていて切り替えの速さは3歳児並み!!(素晴らしい)
察することが前提の日本ではあまりない光景に驚きました。
フランスに来て間もないはずのゆうたですが、
この点においては大きく影響を受けていました。
忙しくなり、自分の仕事がキャパシティーを超えると関西弁で容赦なく怒鳴られました。
そして営業がひと段落するといやぁーフランス人はこれだから困るよとか俺じゃなきゃ間に合わなかっただろうなとか
だめだ。
完全に尊敬という言葉からかけ離れている
だけどわたしは
継続は力なり
という言葉を知っている。
石の上にも三年
ということわざも知っている。
毎晩のように日本にいる両親に電話をかけて、泣いたり怒ったりしていました。でもなぜかいつも両親は大爆笑。この話いつか絶対笑える時がくるからと言われていました。
そして今、面白おかしく皆様に(いや読んでる人いる?)ブログを書くことが出来ているので、12年経ち今更ゆうたに感謝しています。
なのでもう一話くらいゆうたの話をしてあげようと思います。(上から目線にもほどがある)
次回のブログに続く、、、