念願のスタージュを
無事近所のブーランジュリーでスタージュが決まった私ですが
製菓学校を卒業しただけで現場経験がなく、
語学も堪能ではなく、そして実は物凄く臆病な性格。
スタージュ初日の前夜はほとんど寝れなくて
とにかくお腹が痛かったのを覚えています。
パン屋さんの朝は早く、
まだ薄暗く街が寝静まった中で出勤に向かいました。
あれだけ苦労して手に入れた許可書なのに
いざスタージュとなるとぶっちゃけ本当に
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バックレたかった。
私がスタージュをしたGermain matterというパン屋さんは
私より若い子しか働いていませんでした。
私は当時21歳(だったと思う)でしたが、
日本でその位の歳といえばまだまだ下っ端ですが
フランスのパン屋&お菓子屋では15歳くらいから現場で既に働いている人が多いのです
(スタージュやアプロンティサージュなど制度が充実しているため)
シェフはほとんど工房にはおらず若い子達に
日々、製造と配達などを任せている感じでした。
私の仕事は陶器のクグロフ型にバターと粉をまぶし準備をすること
大量のルバーブをタルト用に下拵えする事などでした。
単純で誰にでもできる仕事ですが
いつも食べているクロワッサンやバケットなどが
作られている様子を見るのはとても楽しくて、切れ端なんかもくれたり
フランス語で仕事をするというのは何とも言えない嬉しさがありました。
ただその時はまだまだバックレたい気持ちでしたけどね。
常に緊張していて早く帰りたい。
それでけを考えていました(笑)
クグロフ型は毎日使っているにも関わらず
毎日大量にネズミのフンが入っていました。
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(・_・)
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倉庫にあるルバーブは毎日大量に処理しているにも関わらず
いつも半分くらい腐っていました。
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(・_・)
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2日目にして私は切れ端の味見というものをしなくなりました。
仕事中にめん棒を振りかざし走り回る少年たち。
その先には、そう
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ネズミ。
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そこにレミーの美味しいレストランのような可愛さはありません。
私はフランスのパン屋の現実を知ってしまったのです。
その後日本のホテルやお菓子屋で働き、改めて気づいたのは
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やっぱり日本て衛生的!!
私がこのスタージュで学んだことは専門的な語学や技術ではなく
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何より衛生面だったかもしれません。
ここでの研修は学校が休みの週2回だけ、
学校に通う期間の残り3ヶ月だけでしたが
今思えばこれもいい経験だったかもしれません。
でもどうせならもっと有名なお菓子屋で研修したらよかった。
私はこーゆーところの詰めが本当に甘いのです。
その後、一度日本に帰国しワーキングホリデービザを取得後、
再度渡仏し、本格的にパティシエの道へ進むべく
スタージュ期間に就職活動を始めました。
そこで私が平気で経歴を詐称した話や(犯罪にならない範囲で)
間違えた挨拶をして初対面のシェフを怒らせた話はまた次回。